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最高裁判所第二小法廷 昭和63年(オ)1519号 判決 1990年7月20日

主文

原判決を破棄する。

本件を高松高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人大野忠雄、同楠瀬輝夫、同武田安紀彦の上告理由について

一  記録によれば、本件請求は、上告人から被上告人に対する(1)昭和五〇年一〇月三一日貸付の一億円(弁済期 昭和五一年四月三〇日)、(2)昭和五一年六月四日貸付の六九五万円(弁済期 昭和五二年一〇月三一日)、(3)昭和五一年一〇月一〇日貸付の一一三〇万円(弁済期 右(2)に同じ)、(4)昭和五二年一月二〇日貸付の一億一三一二万一〇〇〇円(弁済期 右(2)に同じ)及び(5)同年三月三〇日貸付の五二六万〇二二二円(弁済期 右(2)に同じ)並びに右(1)の貸付については昭和五四年一一月二九日から、右(4)の貸付については昭和五五年五月二〇日から、右(2)、(3)、(5)の各貸付については昭和五二年一一月一日から各支払済まで、それぞれ約定の年一割八分二厘五毛の割合による遅延損害金の支払を求めるものであるところ、被上告人は、(1)の貸付事実を当初自白したが、真実は、右貸付は次の(ア)の定期預金と両建てとして処理された架空の貸付であつたとして、右自白を取り消して、これを否認し、その余の貸付を認め、抗弁として、仮に(1)の貸付が有効である場合には、被上告人は上告人に対して、(ア)昭和五〇年一〇月三一日預入れの一億円の定期預金を有し、このほか、(イ)昭和四九年一〇月二二日預入れの五〇〇万円、(ウ)昭和五四年六月二八日預入れの七四万七〇八七円の三口の各定期預金債権を有するから、これらの元利金債権を自働債権として昭和五五年一二月一〇日に相殺の意思表示をしたこと及び(a)昭和五八年六月一四日の八七三五万一六一三円、(b)昭和五八年二月二二日の一億円、(c)昭和五九年一二月一一日の四四五一万八三〇〇円、(d)時期不詳の二五七五万円の各弁済をしたことを主張し、次に記載する上告人の相殺については、その効力を争い、これに対して、上告人は、被上告人に対する建物賃貸借終了に伴う保証金及び敷金の返還請求権並びに(1)及び(4)の各貸付金について既に発生した利息・損害金の債権を自働債権として昭和五五年五月一九日に相殺の意思表示をしたことにより右(ア)、(イ)、(ウ)の各定期預金債権は被上告人主張の相殺前に消滅したと主張し、被上告人主張に係る弁済金については、その主張に係る各金銭受領の事実を認めた上、そのうち(a)及び(d)の各弁済金はいずれも仮執行宣言の付された本件第一審判決に基づく強制執行における配当等により受領したものであり、(b)の弁済は件外債権に対する弁済であると主張した。

二  原審は、前記(1)の貸付の事実を認める旨の被上告人の自白の取消しについては、被上告人において、その自白が真実に反し、かつ、錯誤に基づいてされたものであることを立証すべきであるにもかかわらず、上告人において右貸付と架空両建ての関係に立つと主張する(ア)の定期預金を真実預け入れがされた可能性が大きいものとしながら、原判決摘示の事実関係から、単に右貸付を認めるに足る証拠がないとするのみで、被上告人が自白を取り消すに当たり真実であると主張した右(1)の貸付がなかつた事実を認定することなく、しかも、自白が真実に反することの立証がないのに、自白が錯誤に基づくものであることを推認することができるとして、右自白の取消しを認めた。

そうすると、原判決には、その要件に係る事実を認定することなく自白の取消しを認めた違法があり、その点をいう論旨は理由がある。

三  被上告人主張に係る弁済金のうち(a)及び(d)の各弁済金については、いずれも仮執行宣言のされた本件第一審判決に基づく強制執行における配当等により受領したものであると上告人が主張していることは、一に記載したとおりであるが、原審は、右(a)及び(d)の各弁済の事実について自白が成立したものとして、右各金額の受領をもつて前記貸付金(1)以外の本訴請求債権に対する弁済があつたものとしている。

しかし、仮執行宣言の付された第一審判決に対して控訴があつたときは、その第一審判決に基づく強制執行により弁済を受けた事実を考慮することなしに、請求債権の存否を判断して、判決すべきである(最高裁昭和三五年(オ)第六二九号同三六年二月九日第一小法廷判決・民集一五巻二号二〇九頁)から、被上告人の主張に係る(a)及び(d)の各弁済に対する上告人の答弁は、右各弁済を争う趣旨のものと解すべきであつて、これを原審が右各弁済について自白と解したことは、民訴法二五七条の解釈適用を誤つたものであり、この点をいう論旨は理由がある。

四  なお、職権をもつて検討するに、原審は、(4)の貸付金について既に発生した利息・損害金の債権を自働債権とし、(ア)、(イ)、(ウ)の各定期預金の元利金債権を受働債権として上告人から主張された相殺に関して、自働債権及び受働債権の利息・損害金等は上告人との信用組合取引約定七条三項に従い算定されているとし、右規定による差引計算の実行の日は客観的に妥当な日であることを要し、これに反する不当な時点での処理は信義則上許されないとして、(ウ)の定期預金の元利金債権に対する相殺は有効であるが、右(ア)及び(イ)の各定期預金の元利金債権に対する相殺は、右各定期預金の元本債権と(4)の貸付の元本債権との間に相殺適状が生じた日以後に上告人が相殺の意思表示をすることを妨げる事情がないのに、相殺適状が生じた日から二年半余も経過した後に差引計算をしたものであるから信義則に反し、その相殺の意思表示は、右(ア)及び(イ)の各定期預金の元利金債権に対して効力を生じないとする。

しかし、右信用組合取引約定七条三項の規定は、同条一、二項による約定相殺によつて差引計算をする場合に、債権、債務の利息、割引料、損害金等の計算については、その期間を計算実行の日までとして決済の簡易化を図つたものであるところ、上告人の主張する相殺の自働債権は、差引計算の時に既に生じていた(4)の貸付金の利息・損害金の債権であつて、利息・割引料・損害金等を生ずべき債権ではない(利息・損害金について重利の約定の主張、立証はない。)から、これについて前記取引約定七条三項の適用を論ずべきものではない。また、右(4)の貸付に関する利息・損害金の債権が適法に発生し、その債権の行使が許されるものである以上、これを自働債権とする相殺が許されないとする理由もないといわなければならない。

そうすると、相殺による決済に対する相手方の期待に反してされた相殺適状にある債権の一方の利息・損害金の債権を自働債権とする相殺の意思表示が、事情によつては、信義則に反する場合があるとしても、原審の認定した事実関係をもつてしては、前記利息・損害金の債権を自働債権とする(ア)及び(イ)の各定期預金の元利金債権に対する本件相殺の意思表示が信義則に反するとした判断を直ちに首肯することはできず、この点に関する原審の判断には、民法一条二項の解釈適用を誤つた違法があるものといわざるをえない。

五  以上によれば、原判決には前記各違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、原判決は破棄を免れない。そして、右の各点について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すことが相当である。

(裁判長裁判官 藤島 昭 裁判官 香川保一 裁判官 奥野久之 裁判官 中島敏次郎)

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